自転車と登山

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自転車と登山

最近、山の紀行文を良く読んでいる。 その作家の感性というか、行動パターンというか自分に良く似たようなところがある。 足で山を登るにしても、自転車で峠を上るにしても、考えていることは似たようなもので、早く楽になることばかり考えているのである。 確かに、自分も山登りなんぞもするが、上り始めれば早く楽にならないか、頂上に着かないかと、そればかりを考えている。 自転車に乗れば、とにかく早いところ峠に着いて、下り始めたい。 そんな一心で自転車に乗っているようだ。 そして一日の行程を終え、ビールを飲んでホッとする瞬間に限りない至福を感じることができる。 この一瞬のために、登山であれ自転車であれ、我慢して上り続けているのではないだろうか。

自転車にしても登山にしてもそうだ。 始めたばかりで余裕のない頃には、前の人の背中や足元ばかり見ていて、自分がどこを歩いているんだか、走っているんだか全く分かっていない。 とにかく、がむしゃらに高いところばかり目指しては必死で登っていた。 頂上に着いて初めて、自分の来た道を振り返り、そして周りの風景を眺める気になれたのだ。 登山と違い、自転車の場合は更に状況は悪くなり、人と争ってまで頂上を取りに行こうと闘争心丸出しで走るため、峠までの残りの距離と相手のことしか見えていない。 こんな状況では、どこを走っても同じことで、風景など眼中にないのだ。

これがどうだ。 歳をとってみると、すっかり状況が変わってしまった。 余裕が出てきたと言えばカッコ良いのだが、体力がなくて遅くなったのか、休憩が多くなったのか、途中途中での風景を愛でることができるようになった。 登山であれば、足元に咲いている高山植物や動植物の香り、そういったものに気付くようになる。 自転車であれば、道すがら立っている道祖神や谷間に広がる奥深い景色等の車の速度では見えてこないような景色に気付くことがある。

どちらにも共通して言えることは、と言うより、仕事にしても何事にしても、若いうちは体力や若さに任せて、がむしゃらに一生懸命前に進むことだけを考えていたのではないだろうか。 若いうちは、それが良いのか悪いのか、そういうことも考えられないのだ。 とにかく一生懸命なのが若さなのだろう。 そして、ある程度歳をとってから、自分のやってきたことを振り返ってみると、そのとき初めて余裕が出てきて、自分の歩いた道のりを考え、そして見つめ直すことができるのではないだろうか。 なんだか、人生観のようなことを述べてしまったが、登山も自転車も同じような道のりなのではないだろうか。 なんだかそんな気がしてならない。

先行く道は遠くとも、行かねばならない道ならば、足元だけを見つめずに、その道程を楽しもう。 仮に挫折したときも、足元しか見ていなければなにも記憶に残らない。 振り返ったときに、その道のりが美しいものでありますように。

 

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