宗谷岬の思い出

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宗谷岬の思い出

学生のころ、自転車を手にしてからは毎年のように北海道へ走りに行っていたように記憶している。 車で走っても広大な大地である北海道なだけに、自転車で走るには広すぎる。 だから何度も何度も足を運んでは走り続けた北海道。 その中でも、その北の突端である岬、宗谷岬には特別の思いが残っている。

初めてそこを訪れたのは、大学1年生の夏のことだった。 千葉の自宅から走り出し、茨城県大洗港から北海道苫小牧港へフェリーで渡り、そこから延々と20日ほどかけて、その地を踏んだのである。

途中、海や山、湖沼を抜けて北を目指した。 音威子府からは、今は亡き天北線に沿って中頓別から浜頓別、オホーツクに出て、そこから北に向かうコースを選んだのだ。 音威子府からは山道が続き、ようやく木々の間から海が見えてきた。 網走で見て以来、阿寒、大雪を抜けてのオホーツク。 感慨もひとしおである。 火照った身体が海からの風で心地良く冷えてくる。 ここからまた単調な海沿いの道が続くのだ。 適度なアップダウンが続くため、楽に走れるというところでもない。 時折すれ違うサイクリストからは、「もう少し! 頑張れ!」と声援が聞こえる。 「もう少し!」の指すところは、もちろん宗谷岬である。 誰もが北の果てを1つの到着地点として認識していると言うことであろう。

最後のカーブを過ぎると目の前に岬の碑が見えた。 ガイドブックやテレビでおなじみの三角の碑だ。 もうメチャクチャ感動して、岬の碑の前まで走り寄った。 すでに日は赤く西に傾いており、碑の前では数人のライダー達が酒宴を開いている。 彼らはボクのために酒宴を中断させて、碑の中央の記念撮影場所にボクを招き入れてくれた。 「ホラホラ、カメラを出せ!すぐに映してやるぞ!」と、数枚勝手に撮られ、「これも思い出だぁ!」とビールを勧められ、みんなと乾杯しながら写真を撮られたのであった。 軽い酔いを感じながらも、酔っ払う前にテントだけは張らねばと、テントを張ろうとすると、みんな手伝ってくれて、自転車もそっちのけで宴会の仲間に入れてくれた。 最北端の感動は酒とともに身体中を巡り、酒と共に夜は過ぎ去ったのであった。

次に訪れたのは、大学2年生終わりの3月初旬、まだ雪の降り積もる季節だった。

冬の北海道を縦走しようと、釧路から入り、阿寒、網走と抜け、オホーツクを北上するコースを選んだ。 比較的除雪状態も良く、走りやすいだろうと考えたためだ。 途中、飯場や駅前にテントを張ったり、ライダーハウスに泊まったりしながら、北の果てを目指した。

おりしもその日は北風に混じって、小雪が降ってくる。 走っていると、前髪が雪で凍って、ツララ状というかエビの尻尾状に固まってしまう。 目出坊の口の部分は、吐いた息が凍って固まっている。 そんな状況の中を北に向かって、顔を上げることもできずに、ひたすら路面を見つめて走っていた。 夏季に一度は来たことのある道だが、冬ともなれば見える感じも全く違っており、何度も何度もこのカーブを曲がれば最北端!と心に言い聞かせながら走り続けたのだ。これが最後のカーブだと思って何度も曲がっては、何度も気持ちを打ち砕かれていたため、疲労も重なり、かなり辛い状況だった。 それでも北へ北へと、気持ちを奮い起こして走っていると、ふと前方が開け、あの三角の碑が現れてきたのである。 そこは北国特有のどんよりとした雲が厚く覆っており、遥か水平線まで流氷で覆われている。 どこまでが陸でどこからが海だか、また流氷の先もどこから雲なのだか見紛うような中に、最北端の碑が凛としてそびえている。 碑のあるところが、陸の果てのはずだ。 これより先は全て流氷なのだ。 この瞬間はうれしくて熱いものが込み上げてくるのを感じた。

予定では碑の前にテントを張る予定だったのだが、碑の前には除雪した雪やたくさんの雪が積もっており、テントを張れるような状況ではなかったため、この日は最北端のバス停に入り込んで泊まることにした。 冬の最北端を噛み締めるように、祝杯をあげた。 氷点下30度の世界、ウイスキーも冷たく、なんとなくトロッと粘度が高くなったような感覚だ。 グッと喉の奥に放り込むと、達成感と充実感とともに身体の奥から熱くなるのを感じた。 夏場は波の音が心地良く聞こえていたのだが、この季節では流氷に覆われた海からは流氷の擦れ合う音や、海峡を吹き抜ける風の音しか聞こえてこない。 身体半分をシュラフに潜り込んで酒を飲んでいると、ほどよい酔いが回ってくる。 疲れた身体を横たえると、いつのまにか深い眠りに入っていった。 

 

 

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