大学時代の自転車生活

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大学時代の自転車生活 

大学時代の4年間では自転車が中心の生活でした。 卒業したからには、それなりに勉強はしていたのですが、勉強の記憶よりも、自転車での旅の記憶の方がはるかに鮮明に、確実に思い出せるのです。

入学したての1年生では、夏休みに1ヶ月の北海道ツーリング、そして次の春休みの合宿は南紀だったのですが、なぜか気が向かずに不参加。 結果的にはどこにもいかなかったような気がします。

2年生の夏は信州を中心に回りました。 このときは、初の3000m級の登山も経験し、醍醐味のある1ヶ月でした。 輪行して飛騨高山まで行き、そこから自転車で走り始めました。 白川郷、五箇山を経て、一度日本海に出た後に、猪谷から奥飛騨温泉、安房峠、そしてスーパー林道で乗鞍一之瀬キャンプ場へ。 ここで初めて居候という経験を積みました。 キャンプ場で、受付、掃除等の仕事を手伝いながら、メシとベッドだけは提供してもらえたのです。 朝早くの掃除から始まり、夜の見回りまで、楽しいものでした。 ここのキャンプ場で友人と待ち合わせ、スーパー林道経由で釜トンネルをくぐり、上高地へ。 ここから横尾まで作業道を走り、横尾に自転車をデポして、北穂から奥穂までの縦走をしました。 初の登山だっただけに高山病になり、頭痛で大変でした。 それから下山し、大町を経由し、鬼無里から戸隠へ。 ここからサイクリングクラブの合宿の始まりです。

これがまた結構な道のりで、鬼無里から峰方を越えて青木湖へ。 笹ヶ峰から野尻湖、斑尾高原、カヤノ平から秋山郷へと。 そこから、六日町等を抜け、最後は鯨波で解散といったものです。 信州満喫、峠満喫、そして最後は海の幸といったスペシャルバージョン。 かなり楽しいツーリングでした。

次の春休みは四国での合宿でした。 これもその前に自分ひとりで九州を回ったりして、途中から合宿に参加し、あんまり四国を充実して回った記憶はありません。

この年は、2月早々に北海道へツーリングに行ったのです。 釧路から鶴居村を抜け、弟子屈へ。 網走でオホーツクにでて、あとはひたすら北上し、最北端を目指しました。 目指すは宗谷岬。 真冬の日本最北端北緯45度31分。 なにせ2月早々なので、完全に北国。 思った以上に路面コンディションは良く、走ることができたのです。 今思えば若気の至り。 基本はキャンプで、テント泊。 外気温が−30℃でもテントの中は0℃くらいまでにはなるので、暖かです。 このために3万円も出して冬用寝袋を買ったのです。

一面の雪の中を走る気持ち良さ。 冷え切った空気を切り裂く走行感。 あまりの寒さの中のキャンプ。 なにもかもが楽しい思い出です。 宗谷岬の三角の標識が見えたときには、うれしさで一杯でした。 あんなに寒いのに、祝杯を挙げ、いつまでも喜びを噛み締めたものです。

3年生の夏は北海道での合宿です。 今まで行ったことのない離島へということで、礼文、利尻へ。 青春18切符3枚で稚内まで輪行し、そこから自転車でフェリーに乗り一路礼文島へ。 礼文島では、船泊THに宿泊し、8時間コースやトド島探検隊に参加し、楽しく過ごしました。 次は利尻島へ。 ここでは島一周して、それからなんとまた礼文に出戻り。 再度船泊THへ。 なんとここで3週間もヘルパーとして住み込んでしまったのです。 朝食の準備、シーツの洗濯、掃除、夕食の準備、港までの送迎車の運転と一日があっという間に流れていきます。 でも、美味しいところもありました。 ウニ、イクラ食べ放題、港から大量に仕入れる食材は当然余裕持って仕入れるため、ホステラが少ないときには食べ放題でした。 それに、若い女の子がたくさん来るので、仲良くなる機会も多かったのです。 そして、合宿の期間に合わせて、島を離れたのです。

合宿は道東で温泉めぐり。 一日で屈斜路湖周辺の露天風呂めぐりをして、20km程度しか走らないこともありました。 とにかく楽しい北海道でした。

1年生のときに一人で行ったのとは異なり、3年生ともなれば完全に打ち解けあい仲の良い人たちと一緒に走り、共有し、自分たちの世界に酔いしれていました。 学生ながらに充実した日々だったのでしょう。

そして、春休みになり、今度は九州一周の旅に出かけました。 実は母が福岡の出身だったこともあり、九州には母方の兄弟が多いのです。 それらを巡って旅にでたのです。 青春18キップを手に、大垣行きの夜行列車に乗るのです。 下関まで電車で行き、そこから自転車です。 福岡から入り、日田から大分、九重連山、やまなみハイウェイ、そして阿蘇山。 春だというのに、阿蘇では大雪と霧でホワイトアウト状態。 そして高千穂へ抜け、延岡から海岸線を鹿児島まで。 桜島、長崎鼻、串木野と回り、西海公園から長崎、佐世保、唐津と回って帰ったのです。 今でも地図を見ずに、こうやって思い出せるのは、それだけ印象の深いコースと内容だったのでしょう。 やはり自転車でゆっくりと道程を楽しむような旅は、この時期しかできないでしょう。

4年生になるとさすがに就職活動で走ってる暇はないかと思いきや、適当に就職が決まってしまったので、後は取りこぼした単位取得のための講義以外は結局は自転車でした。 

何年生の話でしょうか。 東京山手線の各駅停車ツーリングをしよう! 東京駅の丸の内中央口に天高くそびえる大時計が0時を指すと東京の街に走り出したのです。 クラブの有志数人を集めての疾走。 東京駅から右回り、いわゆる外回りの方向ですね。 東京から有楽町、新橋・・・と始まっていきました。 午前0時の有楽町、新橋なんぞや、まだまだケバイオネーちゃんやタクシーの稼ぎ時です。 我等が不思議な存在になってます。 そして、いきなり有楽町ガード下にある吉野家で腹ごしらえをしたのです。 スタート早々、先が思いやられます。 だんだん時間が経過すると、交通量も少なくなり、みんながハイテンションになるので、ペースも速くなってきます。 しかし、夜中の街でパンクし、しかも換えチューブも持たないヤツがいたんです。 このため、相当の時間を要したのです。 それから、恵比寿駅前では、とうとう警察の職務質問に遭い、学生証の提示を求められました。 たしかに、こんな夜中に学生が集団で自転車というのは怪しい! 学生証と計画書を見せると納得していただき、事故のないよう気をつけるように言われました。 

さすがに周囲が明るくなりだしてからは焦りはじめました。 なにせ、交通地獄の東京で街が起き出したら、自転車なんて走ってる余裕はありません。 本来なら、暗いうちに到着して、朝までやってる飲み屋に行く予定でしたが、予定外のパンク修理に時間を費やし、こんなになってしまったのです。

最終的には、朝のラッシュに合わせるように東京駅に帰り着きました。すでに東京駅の大時計は7時10分を超えています、出勤のサラリーマンにヘンな目で見られながらも、自分たちの無事故と完走に祝杯をあげました。 これから働く人たちと、自転車乗ってヘロヘロになってビール飲んでる人たちとのアンバランスな風景でしょう。 しかし、その頃は学生ということで何でも許せた時代です。 大きた「乾杯!」の声が丸の内に響いたのでした。

 

 

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