はじまりはじまり

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きっかけ

そもそもなんで自転車を始めたのだろう。 小学校や中学校、はたまた高校でも運動は嫌いだった。 体育の時間でも球技があれば「おれ補欠でいいよ。」とか、とにかくやる気なく、適当に過ごしていた。

サイクリングクラブに入ったのは大学に入ってからだった。 そんなにまじめに勉強するのも好きではなく、適当に単位さえ取れれば良いやなんて感じで学校に行ってた。 でも、なんでサイクリングだったんだろう。 それはやはり、小学校のころの隣のお兄ちゃんの影響が大きいのではないだろうか・・・・・

その隣のお兄ちゃんは「ちゃっちゃん」と呼ばれていた。 隣の家に住む次男坊である。 僕より多分10歳くらい年上だったのではないか。 その「ちゃっちゃん」は、休みのたびに庭先で自転車の掃除やら、整備をしていたのです。 子供のころの私は、その姿をじっと見つめ、自転車ってのはこんなふうにバラバラになるのか〜なんて子供ながらに思っていたのでしょう。

それと「ちゃっちゃん」の部屋には漫画がギッシリと詰まっていました。 それが「サイクル野郎」でした。 なんども遊びに行っては読みふけり、全巻を読み通したのです。 隣の家なので、親も安心して遊びに行かせてくれましたので、それを良いことに夜までも読んでたこともありました。

いつしか「ちゃっちゃん」は大きくなり、自分たちの遊びで忙しくなり、子供の私を相手にしてくれなくなってしまいました。 私自身も友達との遊びに夢中になり、遊びに行くことは次第に減っていったのです。 そして、「ちゃっちゃん」は遠くに引っ越していってしまったのです。

そんなときに、少し遠くにできた大手スーパーにある本屋で、偶然にもバッタリと「サイクル野郎」と再会したのです。 もう既に20巻を過ぎて発行されていたと思います。毎月の小遣いから、月に1冊だったり、2ヶ月に1冊だったりと、少しずつ買い溜めていったのです。

おそらく、これが自分が自転車と対峙することになった最初のきっかけだったのではないでしょうか。 中学校を卒業するころにはサイクル野郎も全37巻をそろえ、何度も何度も読みふけっていました。

サイクリングのはじまり

小学校に入学すると友達も増え、行動範囲も広がります。 ましてや、今の小学生みたいに「自転車に乗っていいのは○○の範囲だけ!」という規制もない時代。 自転車に乗ってどこまでも遊びに行きました。サイクル野郎の漫画を買いに行っていた本屋も自転車で1時間くらいかけて行っていたように思われます。

そのころは、あまりサイクリングという意識はなく、ただ遠くまで遊びに行こう!おにぎりを持って、楽しく、半日で行けるところまで行って、また半日で帰ってこよう。というものでした。

初めての泊りがけのサイクリングは、小学校4年生のときに銚子まで行ったことです。 そのころ住んでいたのは千葉県市原市。 内房線の駅のそばです。 そこから片道90キロくらいの工程です。 友達とその弟と一緒に出かけたのです。 もちろん子供だけでは危険なので、友達のお母さんがバイクで引率してくれました。 当時乗っていた自転車は、黒い鉄フレームにセミドロップハンドルが付いた5段ギヤ。 子供の足では丸一日の大仕事です。 銚子に着いたときにはくたくたに疲れててすぐに眠ってしまいました。 もちろん次の日は帰るのですが、大変でした。

それからは日帰りで房総の方へ行ったり、九十九里の方へ行ったりと、あちこち楽しんでいました。 5段ギヤの自転車もフロントにチェーンリングを取り付け、ディレイラを取り付け10段ギヤに改造したりと、そんなことも楽しむようになっていたのです。

しかし、小学校の高学年になるとクラブ活動も忙しくなってきて、銚子までのサイクリングの友達と一緒に金管楽器クラブに入り、また違う遊びを楽しんでいました。そして中学生になると、また一緒に吹奏楽部でトランペットを奏でるようになるのです。 いつの間にかサイクリングは忘れてしまったようです。

高校生になるとお互い別々の学校に通うようになるのですが、高校2年生の夏に「テントを持って日光までサイクリングに行こう! いろは坂を上ろう!」と決起し、計画を立てたのです。 栃木県真岡市に私のおじさんが住んでいるので、1日目はそこまで。2日目にいろは坂を登り中禅寺湖畔のキャンプ場へ。 3日目は宇都宮郊外のサイクリングセンターキャンプ場。 そして4日目は自宅までという3泊4日。 やればなんとかなるもので、なんとかなりました。 実家に帰ると今でも男体山をバックに戦場ヶ原で撮った写真が部屋に飾ってあります。

でも、その友達とも会ったのはそれが最後で、大学、会社員を通じて、出会うことはなくなってしまったのです。

サイクリング同好会

大学に入ると長期間の休みがあることから、絶対サイクリングだよな!と考えていました。 入学したての頃、大学のキャンバスでは新入生の勧誘がたくさんありました。 しかし、サイクリング同好会は少しジミ目に、ひっそりと勧誘してたのです。 当時の先輩たちが、結局今も付き合っている友人関係であるし、すでに人生の半分を友人として過ごしているのです。 このときに、まさかそんなことまで考えてあろうはずがありません。

新入生歓迎ランが房総で2泊3日で開催されました。 実家から集合場所までは近いし、軽い気持ちで参加しました。 先輩や新入生がたくさんいて楽しかったです。 そもそも高校のときには酒を飲むことがなかった自分は、決してまじめだったわけではないのですが、ただ単に酒に興味がなかったのです。 それが新歓コンパやこのとき飲んだ酒により開花してしまったのです。

それから春夏秋冬4回り。 日本全国を長期休みのたびに回りました。 これまでサイクリングと言えば、舗装路を走るイメージしかありませんでしたが、サイクリングクラブでは、林道の峠越えが標準スタイルです。 今まで走ったことのない砂利道を一所懸命走っていくのです。 それから、バッグの中にはコッヘルとストーブを入れて、峠でお茶を飲むというのが、そのころの楽しみ方でした。 

最初の頃は宿中心だった合宿も、年毎にキャンプの数も多くなり、キャンプ色が濃くなってきたのもこの頃です。 そもそも、合宿の集合までに、皆勝手に一人でキャンプツーリングを楽しんでから、合流するといったパターンが多数だったため、自然な流れだったのでしょう。 キャンピングに荷物を積んで、林道を走り、山深い峠道を越え、造り酒屋で地酒を買い込み、温泉に入って、キャンプの夜を楽しむと言ったパターンが構築されたのもこの頃のことでしょう。

長い学生時代のツーリングの中でも冬の北海道や春の九州など楽しく印象深かったことを覚えてます。 また、土日や連休には、輪行して秩父、奥多摩、信州や上信越の山々を走ったり、富士山に自転車担いで登ったりと、いろいろなことを楽しみました。 大学は勉強というより自転車一色でした。 自転車で旅行中に出会った人達の親切を受けたり、そんな人たちといまだに付き合いがあったりと幸せな人生だと思っております。

また、私が在籍していたサイクリング同好会は、1つの学部に所属するサイクリング同好会でした。 要するに○○大学○○学部サイクリング同好会。 つまり、同じ大学には、○○大学△△学部サイクリングクラブとか言ったものが、学部の数だけ存在したのです。 各学部の各サイクリングクラブには、幽霊部員も含めるとそれなりに人数は集まります。 今度はそれが○○大学サイクリング同盟なるものを発足させ、年に2回だけ全体の会合(要するに走って飲む)があるのです。 これにより、キャンバスの異なる他学部の仲間と交流することができるのです。

大学3年生のときです。 わが学部がサイクリング連盟の主幹校を引き受けたとき、なぜか自分がそのサイクリングクラブ連盟の理事長となってしまったのです。 それからの生活は、イベントを企画したり、各学部の部長やらとの付き合いも多く、酒を飲む機会も多く、酒を飲む量も多くなるのでした。 秋のツーリングイベントでは、一泊して大宴会が開催されます。 大学生とは言え、100名弱の大宴会なんてのは、なかなかありません。 各学部対抗の宴会芸、飲み比べ等で夜は更け、周りには酔い潰れた人間がたくさん転がっているのです。 中には酒にも酔えず正気で人の世話ばかり焼いているなんて奴もいますが、彼がいるから皆が安心して飲めるのです。 こんな酒飲みの集団だっただけに、就職したての新入生歓迎会で先輩を潰してしまった人もかなりいたようです。

 

ありゃりゃ、就職しちまった!

大学4年生のとき、何気なく就職活動をして、何気なく就職してしまうと、茨城県民となってしまったのです。 自分の中では、就職する前に1年間くらい遊んで、自転車で海外を回ってみたいという思いもあったのですが、ちょうどバブルの陰りも見え始めた頃、将来を見越して就職したのです。

就職しても自転車は続きました。 休みのたびに車に自転車を積んで遠くへ出かけ、ゴールデンウィーク、盆休みには、学生時代の友人たちとキャンプして自転車乗って楽しんでいました。 みなそこそこ金を手にするようになり、自転車も昔のランドナー改パスハンから本格的なMTBに移行していくのです。

その頃は既にパスハン車で山道を駆け抜けていたのですが、MTBのフレームの硬さと太いタイヤの走破性には開眼しました。 クロモリフレームのしなりがなくなり、カチッとした走行感。 それから思ったところをトレースしてくれるハイグリップなタイヤ。それはすばらしいものでした。 これでさらに山中を駆け回り、休みのたびに出かけまくるのでした。

この当時、新しく自動車を買いまして、最初の車検までは年間3万キロも遊びで乗っていたのです。 毎週のように茨城から信州、上信越方面へ行っていれば、それぐらいにはなります。ガソリン代だって馬鹿になりません。 毎週3回ほど満タンにしなければ、ならなかったのです。 本当にそんなに走っていたのです。

学生時代に長期休暇のたびに出かけていた長期ツーリングにいけない分、休みでの集中した自転車遊びに興じたのです。 いつからでしょうか。 仲間の一人がMTBのレースに出ようと誘ってきたのです。 初めてのレースは91年の秋に裏磐梯国際スキー場で開催されたもの。 クロスカントリーとダウンヒルがありました。 今ほどの立派な運営体制ではなく、適当なもの。 雨の中ダウンヒルのレースに出場しました。 今と違って、サスペンションなんてのが出る前の話です。 適当に出場すると、雨と泥で前が見えなくなって、コースアウト。 その拍子に右膝をザックリと切ったのです。 そのまま救急車に乗せられると、中には同じようなやからが数名、待っていたのです。 けが人が多く、救急車が足りないので、乗れるだけ乗せて行くといったもの。 そんなリタイヤから始まった自転車レース。

92年にはシマノ開催の小海リエックス。 なんとクラスで10何位。 俺たちって意外と早いぞ!と認識し、それからMTBレースにはまるのです。 自分たちのレベルにあった草レースを求めて、雑誌をチェックし、申し込み、出場し、温泉に入り、そして酒を飲む。 お決まりのパターンですが、楽しく、充実した日々でした。 草レース会場では常連となり、我々のチームジャージもそこそこ知れ渡り、表彰台の端に立つこともできるようになったのです。

 

自転車道楽

そうこうしているうちに、次はロードにまで手を出してしまったのです。 最初は近所のショップで入門者をオーダーしました。 普段はロードで練習し、MTBでレースに。 といった記事を雑誌で読んだのです。 乗ってみるとこりゃまた楽しい。 MTBで感じられなかった風を感じるのです。 一踏みで進む距離が全く違うし、路面抵抗も全く違う。 いうなれば飛ぶように走るのです。

仲間内でもロードの波は押し寄せてきました。 私がトレックを購入した頃には、軒並み新車ブームでした。 コッピ、コルナゴ、トレックに、当時の最上級の7700系のデュラで組んだものでした。 やはり気持ち良く、快適に走るためには、金に糸目はつけません。 そして、2台目のコルナゴを買うには時間がかからなかったのです。

そうなると、今度はロードのレースにも参加するようになります。 しかし、MTBと違いいかにも争うという感じのレースなので、そういったものには怖くて参加できません。 乗鞍ヒルクライムとか自分のペースでできるものを選びました。 でも、なぜか筑波サーキットの耐久にはかなりでました。 その当時では、総合順位でやっぱり10何位には入っていました。 若かったし、元気だったし、なによりも走っていた。 今思うとすごかったんですね。 もうそんなに走れません。

しかし、年をとると言うことは体力が低下するだけではありません。 自由にできる金が増えるのです。 そうなると、自転車につぎ込む金が多くなるのです。 結果的にここでも紹介しているように次から次へと自転車を買い求め、自転車を楽しんでいくのです。 とは言っても、飾って置いておくということは自分の性分には合わなく、基本的にきちんと乗っています。 コルナゴに至っては、さすがに1年近くは惜しくて乗れませんでした。 見ているだけで楽しかったのです。 やっと自分に区切りをつけ、乗ると決めたときは、もう楽しいものでした。 乗った後には、きれいに自転車を磨いて、当然室内保管。 家の中ではスポットライトが自転車を照らしています。 自転車のフレームの美しさと、金属のピカピカとが入り混じり、とても美しく、部屋に映えております。

 

TEAM SOMETIMES

レースチームを作りました。 とは言っても、基本的に大学サイクリング同好会のOBで、しかも89年から92年頃に卒業した仲間です。 なぜか、この近辺の年代がいまだに良く走っているのです。 卒業してからもゴールデンウィーク、盆休みは自転車持ってキャンプして、自転車と酒に興じていたのです。 キャンプと言っても、今のアウトドアブームの前の時代のキャンプですから、一人一人が勝手にテントを持ち込んで、一人用のコッヘルでみんなが少しずつ食事の用意をして、際限なく酒を飲むのです。 朝起きて一番に起きると、朝靄の中、缶ビールをプシュッと開けて、皆が起きてくるのを待つのです。 早く誰か朝飯の準備してくれないかなと飲んで待っているのです。 そんな休日を過ごしていたのです。

キャンプの計画なんていうのもなく、指定したキャンプ場に勝手に来て、勝手に帰る。 休みがまちまちだから仕方ないのです。 キャンプ場の場所については、近くに温泉がある。走る場所がある。 人が少ない。 暑くない。 というのが鉄則。 そうやって、休みごとに会っては、走り、自分で乗ってないと、会ったときに置いて行かれるので、次第に個人的にも走りこむようになって来たのではないでしょうか。

レースを始めた頃、やはり格好から入ろうということになり、レースジャージを作ったのです。 そのときに、合わせてチーム名称も考えなければなりません。 いろいろと案は出ましたが、最終的に残ったのが「TEAM SOMETIMES」。 名前の由来は、次のとおりです。

就職してみんながばらばらになったため、実際に会って一緒に走れるのは、SOMETIMES。 上り坂をガンガン走ろうとしても、体力ないためダンシングできるのは、ほんのSOMETIMES。 下りでこけるのもSOMETIMES。 と、こじつけることで、チーム名称が決定しました。 ロゴはA氏が考えてくれました。 そして、初期型ジャージはシクロウネのオーダーシステムで20着つくりました。 当時はそんなにたくさんのメンバーがいたのです。

ジャージを作ってみると、やる気が出てきて、レースやツーリングで毎週のように走るようになりました。 一時期は、SOMETIMESではなく、every week勢いで走りまくっていました。 TEAM SOMETIMESの最盛期です。 もっぱら耐久系のレース参加が多かったのですが、表彰台に絡む結果が着いてくるようになったのです。 すると楽しくて、また練習して、走って。 すると、またレースで良い結果が出てと、良いように回っていたのです。

いつごろからでしょうか。 またSOMETIMESに変わってきました。 お互い彼女ができたり、結婚したり、子供ができたり、仕事が忙しくなったり、サウジに長期出張したりと、我々を取り巻く状況も変わってきました。 どうしても、みんなで会う機会が少なくなってきたのです。 そうすると、なかなかモチベーションを維持していくことが難しくなってくるのです。 今度は、走らないから、乗るのが面倒になり、すると体重が増え、また面倒になる。 こんどは、悪循環です。 

そんな状況を奪回するためにも、走り続ける人がいなければ、自転車を再開するきっかけがなくなってしまうと、走る人は走り続けています。 決して、強くはないのですが、少しでも時間があれば乗るようにしているのです。 でも、そんな中、現在、1人だけエリートライダーがいて、我々を引っ張っていってくれるのです。 それに、誰でもいつでも参加できるようにと、定期的な乗る機会を作るようにしました。 近年の定番は、春と秋のうっかり八衛兵カップ、忘年ラン、秋のツーリングの4回です。 うっかりはMTBですが、ツーリングについては身体への負担が少ないようにと、最近はロードばかりです。 参加人数が多ければ、それだけ楽しくなるし、走るのもたくさん走れるし、飲む酒の量も多くなる。 やはり楽しく走り続けたいですね。

 

今後の予定

さすがに年をとり、家庭環境も変わってくるとなかなか集まる機会が少なくなってきました。 このまま先細りというのも寂しいので、もう一度、表彰台に復帰すべくチームを盛り立てていきたいなとも思います。 そうは、言っても、なかなかそうもいかないだろうし、健康を維持するためだけでも乗っていたいと思います。

今年は、卒業して10余年。 今年はメンバーのうち何人かが申年の年男です。 申年のための申年による秋のツーリングを実施する予定です。 場所については、猿ヶ京温泉と既に決定してます。 とは言ってもサル年限定のつもりはないので、走りたい人たちを集めてツーリングの予定です。 酒と温泉。 楽しみです。

その先はと言うと、なかなか先は見えません。 でも、おそらく何かあれば、仲間を集めて、走って、温泉に入って、酒飲んでと、続いていくのでしょう。 はたして誰が一番に自転車をやめると言い出すのでしょうか。 やめると言わないまでも、走る機会がめっきりと少なくなり、会う機会も少なくなれば、やめたも同然です。 また仲間が一人減っていく・・・というのも寂しいので、続けて行きたいです。 現に自転車には乗らないけど、宴会には家族揃って参加という方もいらっしゃいますし・・・ そんな形でも仲間として繋がっていれば交流はあるものです。 走った後の宴会だけでも参加するというのが定番であれば、自転車に乗らなくても毎回声をかけますよ。

私個人としてはどうでしょうか。 自分の場合は、今後も自転車には乗り続けていくつもりです。 そして、なにかと言い出しっぺになって、レース、ツーリング、旅行を企画していきたいと考えます。 そのためには、自分が一番に自転車を下りることのないように、体力とモチベーションを維持していきたいと思います。 そのうち、子供たちも大きくなり、自転車に乗れるようになったら、一緒にサイクリングにでも誘ってみようと思います。 家族揃ってサイクリングして、おいしい食事をして、自然の中で過ごすなんて、幸せそうじゃないですか。 そうなれるように、オヤジとしてもしっかりとしなければと思うところです。

まず、今年は茨城サイクリング協会主催のシリーズには全て出ることを目標としています。 霞ヶ浦一週、笠間センチュリ、それから常陸太田です。 昨年は他の大会とバッティングして出られなかったため、今年は全てにチャレンジです。 出場経験のある霞ヶ浦、笠間に関しては、一人で出るのであれば、タイムの更新を目標に。 でなければ、妻を誘って、ショートコースにでも出てみたいです。 それから、今年の乗鞍はどうしようかと検討中です。 申し込み当日で定員一杯になるような規模に膨れ上がってしまい、雑誌等の過熱により、大会本来の面白みがなくなってしまったように感じられます。 それから、サーキット系のレースにも返り咲いてみたい気持ちもあるのですが、今現在では足が回りません。 もう少し、練習して先が見えるようになってから、申し込む予定です。

 

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