筑波8耐

筑波8耐

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名称 筑波8時間耐久レース
日程 平成16年7月31日
天気 晴れ(ただし、超強風)
結果 76位/348チーム (S氏 H氏 わたくし) 

レース概要

みなさんご存知の筑波サーキットで毎年夏に開催されている8時間耐久レース。

一時期はゴールデンウィークの大会に参加して、夏の優先権を獲得しなければ、夏の参加が困難であったと言うほどの大会。 クローズドサーキット系統の耐久レースは、一時の陰りをみせ、今回は大会開催間近でも受付ができました。 コースは2045mのサーキットコース。 ピットで休憩する分には心地良い風だが、走っている本人にとっては強風というコンディション。 天気は灼熱の太陽が照りつけるホットな一日。

この大会は、昔から良く出ており、メンバーのH氏の会社がスポンサーをしていたころから優先的に参加できていたのです。 その頃は、自分達も若く、自転車にもたくさん乗っていたので、参加すれば必ず20位以内には入っていました。 今回、参加するきっかけとなったのも、これまで20位以内だったのが、どのくらいまで下がっているのか見てみようというのもありました。 なんとか50位くらいまでには入れるのかなぁという希望的観測のもと参加を決意したのでした。

メンバー紹介をすると、私1stライダはC-40が落車に巻き込まれることを恐れ、TREK5500の99モデルで出場。 ちなみにこの99モデルは、ランスアームストロングがツールで初優勝を飾ったときと同じモデル。 会場にはまだまだ同モデルに乗ってる人がたくさんいましたが、やはり最新のトレックモデルは多かった・・・ 

2ndライダーはH氏。 もとクロカンエリートライダー。 しかし、海外赴任のブランクから現在はファンライドに徹している。 マシンはC-40。 98年モデルです。

それから3rdライダーはS氏。 最近手に入れたリッチーでやる気満々。 かなり良い走りを期待できそうです。

なにせ、このメンバーは96年の夏を最後に筑波8耐からは遠ざかっており、レースの勝手も運営もいろいろと変わっていたため、戸惑うところが多々ありました。

   

さて、試走に

久しぶりの筑波サーキット。 試走までしなくとも、頭の中にはコースは記憶されています。 なにせ8時間で150周も走っていれば、コースなんて誰だって覚えるはずです。 その記憶をトレースするように、試走に踏み出しました。

ピット前の坂を上り、第一コーナを右に曲がると下り坂のS字カーブ。 ここで向かい風に直面します。 そして、左コーナを抜け、ダンロップからヘアピンに向けては、追い風になりスピードも乗ってきます。 ヘアピンを抜けバックストレートでは、厳しい向かい風。 そして最終コーナからピット前にかけては追い風となり、ピットの人たちには快走状態をなんとか見せることができるのです。

stライダーは、試走後にすぐ召集され、アップの時間がないので、ここで一生懸命走ります。 S氏と一緒に並んだり、前後になったりと、そこそこ走りました。 サーキットの軽い走行感、久しぶりのこのコーナ、なんだか全てが懐かしく感じられました。 あとは、どこまで走れるのか、本当に疑問と不安とドキドキとでいっぱいの試走でした。

 

いよいよスタート

試走から帰ってきて、自転車についている付属品(スペアチューブ、インフレータ等)を取り外していると、さっそく召集の案内が会場に広がりました。 ゼッケン番号奇数はピット側、偶数はスタンド側で、番号順に整列します。 ゼッケン番号248番は前からというより、後ろから数えた方が早い位置です。

先頭集団に付くためには、200人も抜かなければならないのかとH氏と話をしながらスタートを待ちます。 実際に、150番くらいのゼッケンでスタートしたときも1周してくる間には50番くらいまで上げてきて、10分も走れば先頭集団の先頭交代に加わっていたという実績から、そんな会話もあったのです。

しかし、スタートまでの時間が迫ってくると、だんだん緊張してきます。 こんな緊張感は久しぶり。 こんなにたくさんの人が前へ前へと争って出て行くわけだし、落車に巻き込まれるのもイヤだし。 どんどん緊張が高ぶっていきます。

スタート10秒前! いや〜もうすぐだ! どうしよう。 そして5秒前からのカウントダウン。 残り2秒でスタートしてしまったのです。 フライングだからと言って、350人がやり直しをすることはできません。 でも、出てしまったものは仕方ない、そのまま突き進むのみです。

 

自責の念にかられ・・・

ゼッケン248番。 頑張らねば先頭集団にあがれないとの焦りもあり、前方の遅い人を片っ端から抜き去りました。 第一コーナ、S字、そして第二コーナへと、前にいる247人に向かってひたすら走り続けました。 自分がダンロップを通過する頃には、先頭は既にヘアピンの手前に迫っております。 あそこまで残り何人くらいいるのかな〜と思いながら、闇雲に走り続けました。 何周か走ったところで、前方の集団は中切れが始まり、少しずつ上がって行こうという試みも、中切れしてしまいそうです。 集団の先頭まで上がっては、単独で前の集団に追い付くということの繰り返しの果てに、かなり消耗してしまったのです。 これじゃもう追いつけないや〜と思ったところで緊張感も失せ、急激に脚も回らなくなってきました。 こ、こ、こんなはずじゃぁ〜〜! と、思ったところで、脚は着いてこない。 ピットに向かって帰るサインをして、ヘロヘロになりながらも、その周回をこなしたのでありました。 しかし、ピットに着いたところ、連絡が伝わっておらず、H氏はまだローラ台の上でアップしており、走れる状況にないのです。 しかたなく、一旦は降りた自転車に再度またがり、もう一周走ることとしたが、もう脚はいっぱい。 結局、最初は7周しかできず、ラップタイムも悲惨なものでした。 スタートの段階だと言うのに、3分15秒くらいで巡航しており、ピットに駆け込んだときは40秒もかかっていたのです。

ええええっ・・・・・ こんなに走れないの? と思いました。 これは前に邪魔者がいたのが原因ではなく、単に走れなかっただけでないか? まったく走れていないことが明白でした。 集団にブロックされて前に行けなかったのではなく、自分が遅すぎて追い付けなかったのです。 昔の感覚で、3分では走れていないとは感じていたが、3分10秒程度にはなんとかなるかなと思っていたのも大きな勘違い。 これは、大変な8時間になるぞと感じました。

 

他メンバーの走り

ダメダメ宣言をして、ピットでひっくり返って休憩しました。 空は青く、大きな雲がモクモクと動いています。 時折吹く風が心地良く身体を冷やしてくれて、少しは疲れを癒してくれているのでしょうか。 走っていなければ、こんなに心地良い風なのに。 天気もまずまず。 観光日和だなぁ。 どこか高原の涼しいところで、ゆっくりと過ごしてみたいな。 なんてことを思いながらボーっとしていました。 レース中でなければ、傍らには冷たい缶ビールがあって、冷たいおつまみなどがあれば最高。 しかし、現実はレースの最中。 しかも、まだまだ始まったばかり。 現実逃避はいけません!

続くH氏は8周走ってきました。 タイムはそこそこ。 しかし、彼も2分台で走れるかなとも思いつつも、平均3分10秒程度。 しかも、ノルマの30分を走りきることができず、途中で帰ってきたと言うところ。

さらに続いてS氏も8周で帰ってきました。 平均ラップは3分27秒程度。 昔のデータと比較すると1ラップあたり10秒も遅い。

みんなして1ラップあたり平均10秒も遅れており、これはすごいことになるぞと言うのがこの時点での正直な感想。 はたしてどうなることやら。 まだまだ、やっと1時間が終わったところ。

 

どん底へと・・・

さて、一巡して自分の番が回ってきました。 次は1回目のように焦ることなく、もう少し落ち着いて、ペースを掴んでノルマをこなそうと考えました。 しかし、結果は平均で3分30秒程度。 帰ってきてタイムを見て愕然としました。

コースインして第一コーナを回り、S字を下る頃には、自分と同じ位のペースの人を見つけて後ろに付くのですが、追いつくことのできる人はペースも遅く、自分のペースに合わないのです。 このため、一人旅となり前の集団を追うことにします。 しかし、同じことの繰り返しで、前の人に追い付いたところで、遅すぎて一緒に走るには満足できないのです。 また反対に、時折後ろから集団が追いついてくるので、それに乗り換えようとするのですが、自分に追い付いてくると言うことは自分よりも速いということで、その集団に乗るために加速しようとすると、そこで脚を使ってしまい、長期にわたって集団走行を維持できなくなるのです。

なんとか自分とペースの合う人を見つけ、このペースならなんとか一緒に走れるなと思ったところでも、後ろから集団が来ると、なんとか乗り換えようとするのかその人は集団を追おうとするのです。 後ろから見てても、お前じゃ無理だよ、一緒に走ろうぜ。 と思ってても頑張って行っちゃうのです。 でも、しばらくすると疲れ果てて落ちてきて、結局は自分よりも遅くなり、遥か後方へと去っていくのです。 これじゃ、集団走行を楽しむどころか、残り時間は苦行となります。

こんなこともありました。 共同戦線を張って一緒に走るために先頭交代をしながら楽に走ろうと提案しました。 私が前のときは良いのですが、先頭を譲ると、そのままのペースで前に出れば良いのに、前に出るときに頑張って踏み込むのです。 「そこで頑張らないで、ペースを保つのだよ。」と言ったところで、聞く耳持たずに頑張って前に出るため、その人は前に出るだけで疲れてしまい、私が実際に後ろについて楽できる時間はごく僅か。 もう見るからに前に出るだけで消耗しているので、私も休む間もなく前にでると、もうその人は消耗も激しく、そのまま後方に千切れてしまうのです。

「このレベルの人達って、集団走行もうまくない。」ということにショックを覚え、これじゃ一人で走るのと同じじゃね〜かよ〜! と、心の奥底で叫んでいました。 やはり遅い人はそれなりの走り方しか出来ないというのが良く分かりました。 速い集団では敵同士でもそつなく先頭交代を繰り返しながら、きちんとペースを保っていたことを思い出し、いろいろな意味で考えさせられました。

2回目の走行を終え、ピットに帰ってくると、かなり気持ちは落胆していました。 今回のこの走りでは、スピナジ回すほどの脚ではないし、そもそも空力効果を得るほどの速度が出てない。 後輪はスピナジを装着していたのですが、重いのを回すのはもう出来ないので、前後輪ともキシリウムで走ることにしました。 踏み込みが軽くなり、少しでも速くというよりは、少しでも楽に走れるようになった感じです。 良くもまあ、こんな重いホイールを回していたもんだと、自分の若さ、体力に驚きでした。

2時間を経過したころのことです。 途中経過順位を確認すると、目標とする50位を遥かに下回る68位とのこと。 もうダメなんだということを、感覚的ではなく、ラップタイムの低下や総合順位の低下により定量的に知らされると、もう何も言うことが出来ません。 あとは、ゴールまでの苦行をこなすだけです。

この時点で、まだ、2時間。 残り時間は6時間。 休憩すると身体を起こすのが億劫になり、もうヤバそうな状態です。

 

周りのみんな

今回は、自転車とは全く関係のない、職場の人に応援を頼みました。 最初は、「ボランティアしないか?」と話しかけ、その内容はなかなか明かさないように、了解をとしました。 最終的に8時間耐久レースのタイムキーパということを教えると、嫌々ながらも快諾してくれました。 30近いS君と20そこそこのK君です。 二人は彼女もなく、暇な土日を過ごしているはずだと言うことから、白羽の矢を当てました。 なんだかんだ言いながらも、8時間はあっという間に過ぎ去ったようで、最後のゴールには感動さえも覚えたと言うことでした。 全く興味もなかった自転車の世界を8時間ピットから見ててどのように感じたのでしょうか。 機会があれば、その辺も紹介していこうと思います。

さて、ピットは相変わらずのにぎやかさ。 あちらこちらにテントが張られ、応援団やら、選手達が待機しております。 昔から見覚えのあるチームジャージやピットレイアウト、それから映りの悪い順位表示用モニタ。 相変わらずの光式の周回チェッカ。 なんだか、あんまり進歩してないなという印象。 でも、これが筑波8耐なんでしょう。 大きなスポンサも獲得できない状況では、進歩はありえないですよね。 そういえば、その昔に、光式周回チェッカの作動確認試験にかりだされてコースを走ったこともあったっけなぁとか、H氏が落車に巻き込まれて温泉に入れなくなったこともあったなぁとか、はたまたレースの帰りにダンプに追突されたヤツもいたなぁとか、なんだかいろいろなことが思い出されました。

近くのピットでは、走っているのは彼氏でしょうか、女性が大きな声で応援してます。 また、一方では、無事に帰還した走者を皆で迎え、次走者を送り出しています。 時間に追われながら上位を狙う人や、とにかく8時間を楽しもうと言う人達。 さまざまな楽しみ方があります。 いずれにしろ8時間を自分の力を出し切って、そして十分に楽しめればそれで良いのでしょう。

そういえば、大学のときの友達のチャーリI君と何年ぶりかの再会でした。 ピットで寝転んでいたら、その脇を彼が歩いて通り過ぎたのです。 なんとなく似ているなぁとも思ったのですが、アメリカに行ってるはずなので、確信がもてません。 ゼッケン番号をチェックして、出走者リストで確認すると彼の名前が。 ピットを探して、声をかけてみるとやはり本人。 10年ぶりくらいの再会。 自転車をやってれば、昔の友人とはどこかで会えるもんなんだなぁと少し感動しました。

 

ゴールに向かって

さてさて、レースも終盤です。

ヘナチョコチームは相変わらず、走って帰るたびに、「ダメだダメだ」と連発しており、崩れ込むようにテントに入ってきます。 すでに自転車の乗り降りの際に、脚がピクピクと言っているのを感じます。

6時間を経過したころのことです。最終走者を選定して、それに向かった時間調整をするころになりました。 最後の30分間はライダ交代が出来ない規定になっています。 そのため、最後の時間調整が必要となるのです。 この時点で、一番脚が残っているのはH氏。 どうやら、最終走者はH氏となりそうです。 それに合わせるために、最後までの時間割を決め、その計画に従って走るだけです。

H氏が最終となるため、その前をS氏と私でつなぎます。 お互いヘロヘロですが、最終走者へつなぐために頑張ります。 たかが20分の仕事を満足にこなせないのには、閉口しました。 S氏も頑張っています。 

残り1時間を切ると、集団も殺気立ってきて、後ろから迫ってくるものに恐怖を感じます。 それに耐えながらも、最後の脚を振り絞って、ピットを目指します。 もう、自転車なんか乗りたくないと思うくらい、ボロボロになってピットイン。 本日の営業終了。 完全に売り切れました。

さて、残りはS氏とH氏。 S氏も頑張って走ってます。 ノルマを達成し、ボロボロになって帰ってきました。 最後の6周は、平均3分20秒程度。 今日は涙目になったのでしょうか。

そして、最終走者のH氏。 最後のお勤めというのに、3分10秒程度で巡航。 しっかりとペースを維持。 なんとか集団にギリギリ食らい着いている様子。 刻々と時は過ぎ、残り時間も少なくなってきました。 それでも、H氏は頑張って集団に付いて行きます。

ピットクローズとなり、コースギリギリまで出られるようになりました。 間近で見る自転車とはとても速いです。 緊張感と緊迫感の漂う高速集団が次々と通り過ぎて行きます。 こんなに走れれば、楽しいし、カッコいいよなぁ。 自分もこの集団に乗ってたんだよなぁ。 そうか、自分もこんなにカッコ良かったんだ。 そう言えば、結婚前に応援に来てくれた彼女は今の妻ですから、そこそこカッコ良かったのかな?

そんな話はさておき、ゴールです。 1位の走者がチェッカーを受け、それからぞろぞろとゴールラインに入ってきます。 みんなホッとした顔で、ゴールに滑り込んできます。 満面の笑みを浮かべる人、悔しそうな人、辛そう人。 でも、みんなが8時間を耐えたのです。 薄暗くなったコースをたくさんの人が帰ってきます。 H氏も帰ってきました。 本当にお疲れ様でした。 最後の最後まで頑張りました。 

 

反省

後に分かったことですが、成績は384チーム中76位。 目標とした50位には入ることが出来ませんでした。 どこまで落ちているかを確認しようというところから始まった今回の耐久レースですが、ここまで落ちぶれているとはショックでした。 なんとか50位以内には引っかかるかと思っていたくらいですから。 なんとか毎週走っているつもりでも、定量的に客観的に自分の衰えを身に染みて感じることが出来ました。 

この文の中でも随所に昔との比較が出てきますが、それは過去のことであり、今は今の自分として楽しんで走りたいと思います。 そして、気が向いたら、練習を強化してレースにつなげれば良いし、ファンライド中心で行くなら楽しめる程度に体力温存していけば良いのかと思います。

今回は大きな課題を与えられたような気がします。 この結果を胸に、今後の自転車ライフにつなげて行こうと思います。

 氏からの投稿文です・・・

 久々に筑波サーキットへやってきた。6年ぶりくらいだろうか。


  耐久レースはレースを始めた頃から出ており、自社がスポンサーになっていたこともある。当時は自転車開発担当者が学生時代に当時、シマノに所属していたI氏と同級生であったこともあって、当社の自転車に乗ってもらっていた。そのI氏もいまや青年実業家であり、今年はサーキットにブースを出していた。いやー懐かしい。

 さて、レース。雨天も考えられたので、大量のウエア持参したが一滴の雨も降らず、灼熱ジゴクである。当チームは自称エースのA氏が1stライダー、落車を恐れた彼はC40を持ち込まず旧車のTREK。俺が2ndライダー。今年リッチー投入したS氏が3rdライダー。スタートは11時。ルールは8時間走行で、ピットインは15回以上というもの。その他細かいルールはあるが、基本的に速く走るだけだ。昔のように走れた頃だと、1周3分弱だったが、今回はどうなることやら。一応、一人30分ずつ走って交代ということにしたがいきなりA氏は20分でピットイン。俺はまだローラー台の上だったので、もう1周回ってもらう。さて、俺の番。全然、ウォーミングアップ出来ておらず苦しい。30分のノルマも果たせずにピットへ戻った。暑さのせいもあるが先が思いやられる。2回目はほどよい集団につけ快速走行、けれどツキイチのダサい走り。しかもピットにあと2周でサインを送るもののその2周で集団から切れてしまう失態ぶり。この時点で昔のようには走れないことを改めて実感。早めにピットインせねば。。。

 3回目の走行。ともかく暑い、でも、ペースが掴めてきた。集団にはギリギリついているという感じなので、加減速に対応するのがキツイ。昔だと単独で前に走る集団に追いつき、もし後ろから来る速い集団があれば、それに乗り換えるという技が出来たが、今回は大人しく走る。というかそれしか出来ない。ちょっと無茶して昔のように走っても数周で切れてしまい、結局、元の集団に追いつかれるということがあった。昔に比べて成長したのは、きちんと待ち時間の間に水分、ウイダー等の補給をしっかり取ったり、睡眠したり?すること。ちょっとやばかったのが5回目。胃が痛いというか、力が入らないというかちょっとハンガーノック気味。この時は最終回に備えて、20分で交代と決めていたのでタイムは悪かったものの大崩無し(はず)で交代する。7時間30分過ぎるとライダーチェンジ出来なくなるので、残り2時間のところで、俺が最終ライダーを務めることに決めていたのだ。エース交代である。足を攣らしたり、ハンガーノックになったら迷惑をかけるのでしっかり補給し、S氏を待つ。ギリギリの時間までS氏が走ってくれたので、30分+αの走行で済むこととなった。

 走り始めると6回目の走行にしては足が動くことは分かった、けれども集団の前に位置することは出来ない。今日は風が強く、うかつに集団から抜けて前に出られないのだ。案の定、集団で中切れが発生し、あっけなく遅れてしまう。それでもラスト30分はピットインが無いし、各チームのエース級が出てきている?わけだから集団が発生しやすい。それでも中切れしたメンバーでひたすら走る、とはいっても、こちらはギリギリの状態だから先頭を引くのは難しい。前を引くお兄さんから前出ろと言われるが出られない。「なにぃー」と言われちまうが出られないものは出られないのだ。そうこうしているうちに、トップがゴールしたとのコール。苦しい30分だったが無事にゴール出来そうだ。最後は一応、ゴールスプリントの真似事をしてゴール。

 灼熱、風という悪環境ではあったが、A氏の友人2人がサポートしてくれたので、3人のライダーは走ることに専念できた。2人に感謝したい。それから渡米後、音信不通となっていたサイクリングクラブの後輩I氏がレースにエントリーしていて、再会出来た。おわり。 

 

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